ご予約はこちらから

カウンセラーの経歴

心理カウンセラー・岩田昌樹の人生

岩田昌樹のこれまでの人生を、まとめてみました。かなり、長文になってしまいましたので、もしご興味がございましたら、カテゴリー別でもご覧いただけますので、よろしくお願いいたします。※現在は「大学時代」まで。

幼少期~青年期
大学時代まで

幼少期~青年期

私には、小さい頃の記憶があまりありません。

幼稚園の記憶はほとんどなく、小学校時代の記憶も、遠くかすんで消えてなくなりそうです。

中学・高校時代の記憶も、おそらく普通の人の「1/10」ぐらいではないでしょうか。同級生と話していても、私自身のエピソードでさえ「そんなことがあったんだね~」という感想が、95%占めている状態。これでは、会話の体をなしませんよね。

記憶の消滅具合が激しいので、まるで縄文時代の遺跡の発掘をしているかのよう。ほぼ憶測と妄想の世界で生きています。

~ 遊んだ記憶がない ~

小さい頃は、ほとんど「遊び」というものを、経験してきませんでした。
公園で友だちと遊んでいる記憶が、ほとんどない。「ゲーム」や「漫画」「アニメ」「テレビ」も見た記憶がない。

高校生のとき、週刊少年ジャンプを旅行先で従弟に貸してもらい、人生で初めて読みました。「こんなに面白いものが、世の中にあるんだ!」その時の爽やかな感動は、今でも鮮明に記憶に残っています。

外食の記憶さえありません。そのせいでしょうか。30才ぐらいになってから、ようやくフードチェーン店やコンビニ弁当に、手を出せるようになりました。

「食べてはいけないもの」という教育のなごりが、強く残っていたのでしょうね。思い出すのは、30才のときに初めて、ジョナサンに行ったときのこと。「ファミリーレストランって、こんなに美味しいんだね!」満面の笑みで、幸せを噛みしめるように、当時の彼女にそう伝えました。彼女のなんとも言えない反応を見て、苦笑いってこういう表情のことを言うんだなと、初めて理解できたような気がします。

~ 習い事のオンパレード ~

小学校低学年時代は、習い事のオンパレードだったそうです。

「水泳」「空手」「ピアノ」「英語」「習字」「そろばん」「サッカー」などなど…。毎日忙しくしていたんでしょうね。遊ぶヒマなんてなかったのかもしれません。

後に、母に聞いた話では、水泳で、「強化選手として、チームに入りませんか?」とトレーナーさんに誘われたらしい。でも母は、「中学校受験があるので、辞めさせていただきます!」と言って断ったそうです。

なんでもさせたいことを、素直にしてくれる子だったそうですから…。私の希望は、おそらく聞いてくれていないでしょうね…。母の進ませたい方向に、従う。それしか選択肢がない状態で、当時の私は、必死に我慢してついていったのだと思います。

~ スパルタ塾通いの日々 ~

小学校3~4年ぐらいからでしょうか。塾に連日通うことになりました。かなり厳しい指導と勉強を強いるスパルタ塾だったようです。

小学校の授業に先んじて、塾で教えられていたため、学校の勉強は低レベルだと感じ、バカらしく思っていた記憶があります。完全に「下」に見下していました。次第に、勉強しなくても、自分はできると思い込んでしまうように…。

机に座って勉強をしているフリをしながら、消しゴムを使った野球ごっこのひとり遊びを、ず~っと、していました。それでは、成績が上がるわけないですよね。 今でも座学勉強が大嫌いですが、その頃の「無意味感」から脱け出せていないように思います。

~ 話を聞いてもらえなかった? ~

ずっと「やらされている」生活が続くと、感情や気持ちを抑え込むようになりますよね。記憶は、感情にヒモづいているっていいますしね。

私の気持ちやその日の出来事を聞いてもらうことが、なかったのかもしれません。話さないから、記憶がどんどん奥の方、奥の方へと追いやられていく。

記憶の収納箱にしまったまま、出す作業をしないから、風化して土に埋もれていってしまう。ホコリをかぶって、サビて開かなくなってしまう。そして、忘れ去られていく。

そうやって、記憶がない「からっぽ」の人生ができあがっていったのでしょう。

~ からっぽの人生 ~

「記憶がない」とは、「自分がない」ということ。

誰かと話をしていても、自分のことが話せない。ダメな自分をオープンにして話すのが怖いという気持ちも、もちろんあるけれど、それ以前に「ない」「からっぽ」なんです。話すネタがないんですよね。

記憶がないから、もちろん「感情」もない。「想い」もない。「趣味」もない。「好き」もない。そして、「嫌い」もない。

まるで、ロシア人に囲まれながら、会話?しているかのよう。ロシア語で何をしゃべっているかわからないし、(自分の)言葉さえわからず話せないから、私にできることは、ただ、にこやかに作り笑いをすることだけでした。

~ 人間関係の築き方がわからない ~

友だちと遊んだりすることがない状態で生きていると、どうやって友だちを作ればいいのかわからなくなる。

話すことが怖くなっていく。親密感の怖れどころか、適度な距離の関係さえ作れない。友だちを誘える自信なんて持てるはずがない。

誰かが遊びに誘ってくれたら、そりゃ内心、飛び上がるほど嬉しい。でもなぜか、「嬉しくない」表情をしてしまうんですよね。それは、友だちとの関係をうまく作れない自分を、全否定しているから。

ダメな自分を誰にも見せたくない。「できる自分を、演出しなければ!」というエネルギーが、高速回転で空回りして、結果「嬉しくないよ!」という態度になってしまう。

後から冷静に考えると、なんでそんなわけのわからない行動をしていたんだろう?と理解不能になるぐらい、しっちゃかめっちゃかな反応を繰り返すようになる。

してもらって嬉しい行動を、みんながしてくれればしてくれるほど、本心とは真逆の行動をとることに。そうやって、知らず知らずのうちに、自分を追い込んでいきました。

~ 誤解が誤解を生んでいく ~

自分の本当の気持ちに反して、「ひとりでいたいんだね」という誤解が広まっていく。中学・高校時代はもちろん、社会人になってからも、そんな日々が続きました。

人の輪に加われない自分がイヤで、恥ずかしい存在だと嫌悪する。だから、みんなから逃げるように、全速力でひとり下校する毎日。休み時間は、眠くないのに一生懸命寝ているフリをしていました。

大学時代まで

~ 記憶の刻印を押そうと、必死にもがいていた ~

からっぽの人生に「記憶の刻印」を押そうと、一生懸命に孤軍奮闘していました。

記憶は、自分ひとりの力で定着させられるものではなく、コミュニケーションやアウトプットしていく中で、定着していくものなのかもしれないと、私は感じています。

でも、コミュニケーションやアウトプットを怖れていた私。だから、自分ひとりの力でもできる「記憶の刻印」を押そうと、日々もがいていたように思います。

~ 中・高時代の悪あがき ~

中学校の頃から、タバコをふかし、お酒を浴びるように飲み、記憶をなくして、遠くの駅で目覚めることもしばしば。高校時代は、バイトに明け暮れながら、中型バイクとスポーツカーを買って、乗り回しているフリをする私。

でも「好き」「楽しい」「嬉しい」という感情がそこにはないから、全然、楽しくない。のめり込めない。している意味さえわからない。

からっぽの空間を埋めるために、「何かをしなきゃ!」と、いつも焦っていました。

「バイク乗ってるよ!」とは言えるけれど、バイクの良さはまったく語れない。ひと言で終わってしまう薄っぺらい表面的な人生しか、どんなにあがいても、わたしには作れませんでした。

「記憶の刻印」が押されるのは、あくまで表紙だけ。「何かをした」という表面だけ変えても、中身は「からっぽ」のまま。語れる「わたし」はいつも、そこにはいませんでした。

~ 大学時代の悪あがき ~

大学生になると、さらに焦りが加速。「時間がもったいない!」「何かをしなければ!」という強迫観念に襲われるように。

栄養ドリンク片手に、週に5時間睡眠という、今から考えると恐ろしい日々を送りはじめる。頭が朦朧となりながらも、深夜バイトに明け暮れていました。

バックパッカーでアジア各地を放浪し、ついには、突然「NHKの記者になりたい!なぜなら、夜討ち朝駆けが当たり前の、超ハードワークだから!」という自滅的な発想で、就職留年を決定。

就職留年中は、孤独にひとりきりで、勉強?に明け暮れていたため、2頭身ぐらいの頭でっかちな超論理的思考人間になる。現実を知りもしないのに、新聞だけで得た浅い知識をもっともらしく語り尽す、いけ好かない人物が出来上がっていました。

そのころの私は、誇大妄想人間。若いころは、少なからずみんなそうかもしれませんが、「オレが世界を変える!」「オレがヒーローだ!」そんなぶっ飛んだ妄想に侵される人間でした。それだけ、「からっぽ」の人生を埋めることに、とにかく必死だったんです。