2023/03/20
2024/04/14
毒親に育てられた方は、長年かけてすこしずつ積み重なったトラウマを、ずっと抱えながら生きてしまうことが多いものです。
「それしか知らない」
「当たり前がわからない」
「長い間」
そんな『見えない重し』ともいえるトラウマが、毒親の克服を難しくしてしまうんですよね。そして、
と、無意識に自分を罰してしまうような行動に出てしまい、さらに毒親の克服から遠ざかってしまっている。そんなこともあるかもしれません。
自罰的な感情とともに、トラウマから発生した得たいのしれない大きな「不安・怖れ」が、人生全体が覆ってしまうものです。そんな
は、人生を一歩前に進めようとする勇気をくじかせてしまいます。毒親のトラウマからの克服どころか、抜け出せなくなることも多いんです。
そんな自罰的で無価値観的な感情を持たざるを得ない環境の中にいると、知らず知らずのうちに、変化を怖れてしまうようになる。現状維持を優先してしまうようになるからです。
あるいは、幸せが手に入りそうになると、なぜか不安・怖さに襲われて、
不幸へと突き進んでしまう…。そんなこともあるんです。
その一方で、
を持ち合わせていることが多いんですよね。それは強い自罰的な感情の「裏返し・もうひとつの一面」と言ってもいいのかもしれません。
後ほど詳しくご説明しますが、それは、あふれんばかりの
なんです。「愛」を受け取ってくれる相手を、必死に探しているんです。
無意識の行動や思考は、つい「不幸や最悪の事態」を選んでしまう。ですが、それは心の奥底で、強烈に幸せを望んでいるからでもあります。
仕方がないことではありますが、「愛」を受けとってもらう経験が少なかったからこそ、純粋・清廉で、大きな理想を思い描きすぎてしまうんです。そのギャップに苦しんでしまうんですよね。
そして、毒親に育てられたという感覚は、被害者的な感覚ですし、自分ではどうすることもできなかったからこそ、
と無意識的にしてしまうものなんです。
最初に見えた世界がそうだったわけですから、それは仕方がないことですよね。だから、そうなってしまう自分を責めないでくださいね。
ただ、ずっと被害者の立場に立ち続けてしまうと、悲しいことですが、それは同時に
ことになるんです。いつのまにか、加害者を引き寄せてしまうんです。
そうすると、もっとさらに人生が辛くなってしまいます。悪循環ですよね。どうにかして、その悪循環から抜け出して克服していきたいですよね。
今回は、そんなときに助けになる「毒親育ちのトラウマ克服方法」を、心理カウンセラー・岩田昌樹がお届けしたいと思います。
もしあなたが、毒親育ちのトラウマを克服できず、大きな「不安・怖れ」を感じているとしたら、それは
だと私は思っています。「愛」はあふれればあふれるほど、それを失う「不安・怖れ」も同時に出てきます。つまり、
なんです。「愛」って、受け取ってもらえて初めて、循環するものですよね。1人では完結させられないものだからです。必ず「誰か」が必要なんです。
循環してはじめて、表裏一体の「愛」の面が浮き上がってくる。留まったままだと、「愛」が、「怖れ」や「怒り」面に変化していく。そんなものなのなんです。
毒親育ちだと感じているあなたは、「愛」を
を、ずっと抱えていたのではないでしょうか。
私は、愛情がもらえなかった悲しみよりも、愛情を受けとってもらえなかった悲しみの方が、実は大きいのではないかと感じています。
しばしば、親に愛情がもらえなかったために、愛情タンクがからっぽになってしまい、
というように解説されることが多いですよね。ですが私は、逆であることも多いかもしれないと感じています。
あくまで私のイメージですが、生まれたときは誰でも、
を持っています。そして、生活をして人との関わりが生まれていくと、さらに愛情がにじみ出てくるものです。にじみ出てきた愛情を、親に受け取ってもらうことで、
んです。ですが、その「愛」を親に受け取ってもらえないと、あふれでてしまいますよね。120になって、150になって…200、300へと。
そうして愛情が溜まりすぎてしまうと、新鮮さが失われていく。
私はそんなイメージを持っています。
毒親育ちのトラウマからくる、「私はダメな人間だから」といった自罰的な感情は、しばしば無意識のレベルで、誰かに「愛情をもらおう」としてしまうんですよね。それは、
なんですよね。低い立場に自分を置いてしまうと、自然と上下関係になりますよね。
その上下関係は、
でもあります。上の人に「もらう」関係性を、いつのまにか求めてしまうんです。
ですが、
としたら…どうでしょうか。その想いは、いつまで経っても叶えられませんよね。むしろ、罪悪感が増していく一方です。
その結果、「もう二度としない」と自分に呪いをかけて、あきらめてしまう。そんな無力感に行きついてしまうことが多いんです。
愛情をもらおうとするのではなく、受け取ってもらうことが必要なんです。たくさんの人たちに
それは、幼いころから当たり前のように、親に
ことです。愛情を循環させることができている人には、当然のことすぎて、そのありがたさを心の底から実感することは難しいからです。
もっというと、特定の人にしか注げない「愛情」を、
んだと思います。昇華させる必要性を感じないからです。
でも、あなたは違います。
罪悪感・自罰感情を強く持っているとしたら、それは、
なんです。愛がなければ、自分を罰する必要性がそもそもないからです。罪悪感があるのは、過去に達成できなかった出来事があり、その原因を自分のせいにするしか方法がなかったからです。
そんな愛の大切さを心の底から実感しているからこそ、不特定多数の人に与えられる「愛」に昇華させていくことができる人になれるんです。
大切なのは「分散」です。
今まで蓄えてきたものが、大きすぎるんです。1人や少数の人に注ぐには、「300の愛」は多すぎるんです。
1人では受けとめきれないんです。だから、すこしずつ、多くの人に、配っていきましょう。そうして多くの人と循環させていくことで、
ことが大切なんです。
その姿は、サンタクロースのようなイメージかもしれません。たくさんの愛のプレゼントを、大きな白い袋に入れて持ち歩いているんです。重すぎますよね。ときには、辛くなってしまうこともあるでしょう。
そんなあふれんばかりの300ものプレゼントを、たったひとりの人に全部プレゼントしてしまうと、相手は
を抱いてしまうことでしょう。プレゼントのお返しの品を考えるだけでも、大変な作業です。そして、充分なお返しができないことに、さらなる罪悪感を抱いてしまうのではないでしょうか。
たくさんの人に、ひとつずつプレゼントを配り歩くのが、あなたの使命なのかもしれませんよ。
見返りを求めすぎずないボランティア精神にあふれている方なのではないでしょうか。
友人や同僚の悲しみに寄り添える方なのでしょうね。道行く人々の困っている姿をほうってはおけない方かもしれませんね。
これからは、「内」に向かっていたその愛を、
なのだと思いますよ。
1人の人と強く愛情を交わすことは、後々のために、
しておきませんか。人生はタイミングですからね。
もし今「怖れ」を感じていたり、うまくいかないことが多かったりする場合は、あなたの愛が「100の新鮮な愛」になっていくと、「不安・怖れ・自罰的な感情」は自然と消えていくはずです。
あふれすぎている愛が自然体になれば、不安・怖れ・自罰感情の元が消えてなくなるからです。すると、
1人の人と愛情を強く結びつける未来は、その先に待っているのかもしれません。
あなたは、しっかりと「生きている」のだと思いますよ。他の方よりも、ずっとずっと生きている。いや、もっと正確にいうと、
です。
それは、自分の幸せのためだけに生きるのではなく、世の中のためでもある。そう思えた瞬間に、人は生きていると実感するのかもしれません。
あなたは、世の中の人たちの悲しみに寄り添い、目をしっかりと向けられる人です。悲しみから目を背ける世界を歩いても、生きているとは言えないですよね。
それが人生ですよね。だから、あなたは生きている実感を味わえる人なんです。悲しむことは愛すること。そんな
だと思いますよ。
最後に、私が好きなとても有名な言葉をお伝えしたいと思います。
人生は、あなたに何を期待しているのでしょうか。これまでのこと、今のこと。何を期待されているのでしょうか。
そうは言えないでしょうか?