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生きづらい原因がわからない人へ【ことり電話】心理カウンセリング
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生きづらい原因がわからない

生きづらい原因がわからない人へ

こんにちは。カウンセリング実績5,100件以上の心理カウンセラー・岩田昌樹です。

生きづらい原因が、自分では

よくわからない…

たくさんの本やネット記事などを読んで、生きづらいと感じる原因を調べてみる。そして、紹介されている対処方法を試してみる。けれど、なぜか思うような効果が現れている気がしない…。

今もまだ、生きづらさがなくならないから。考えれば考えるほど、生きづらい原因がわからなくなる。

より一層、生きづらく

なっているような気さえする。そんな風に、生きづらい原因がわからなくて悩み続けている方が多くいらっしゃるんです。

私は、生きづらい原因は、とても

根深い問題

だと思っています。誤解の怖れずに言うと、屋久杉のように数百年かけて、地中深くまで広がり続けた「根」のようなものと言えるのかもしれません。

代々続いてきたお家芸のようなものとも言えるからです。伝統や文化は、「今・この瞬間」にできたものではないんです。つまり、

見えない世界で
生まれたもの

であることも多いんですよね。

お伝えしたいことは、今目の前で起こっていることに対処するだけでは、根本的な原因・生きづらさを取り除くことが難しいことも多いということです。

自分ではよくわからない生きづらい原因は、見えない世界・記憶が根付く前の幼少期に生まれてしまったクセであることも多いからです。

記憶がないときに根付いてしまったクセだとしたら、対処ができないのは?と思われるかもしれませんが、そうでもないんです。生きづらいと感じる原因には、

ある特定の流れ

があるからです。まずはその流れを理解することなんです。記憶がない・あるいは記憶が薄い世界で、

受け継いでしまった
クセだからこそ

その流れを腑に落とすことが、とても大事だと私は考えています。

今回は、生きづらい原因がわからない人に向けて、生きづらい原因が生まれる流れとその対処方法をご紹介させていただきます。

こちらのブログは、「生きづらい人の性格と特徴」シリーズの5ブログ目となります。ご興味がございましたら、ぜひ下記の1ブログ目からご覧いただければ嬉しいです。

\動画でもご覧いただけます/

生きづらいと感じるのは甘えではない
心理カウンセラー・岩田昌樹
   

目次|生きづらい原因がわからない人へ

生きづらい原因がわからないのは「世界が広すぎる」から

生きづらい原因がわからないのは「世界が広すぎる」から

1ブログ目からの続きです。(1ブログ目はこちらから)

4つ目は、「世界が広すぎる」です。よく、生きづらい感覚は、

現代特有の感覚

だと言われることが多いですよね。では、昔の人たちは、なぜ生きづらさを感じにくかったと考えられているのでしょうか。

私は、昔の人も、生きづらさを感じやすい生活環境だったと思っています。どちらかというと、昔の方々の方が、自分の経験世界がより小さくて、より生きづらい世界構造で生きていたのではないかと推測するんですよね。

たとえば、江戸時代で成人まで生きられたのは、半数程度だったように、昔は今よりも、もっともっと死が身近だったと思います。それは、怖れや不安につながりやすいですし、

愛することさえも、怖く

なってしまいそうですよね。愛が深ければ深いほど、失うショックも大きくなっていくでしょうから。

階級も今よりも固定的だったわけです。それは、

世間の目が
厳しく注がれていた証

です。ですので、自分の経験世界が、現代よりも小さくなりやすかったと思うんです。

ただ、大きく違う点があるんです。それは、エーリッヒ・フロムが言うように、今よりも不自由だったことです。つまり、

世界が狭かった

んですよね。物理的な面だけではなく、心理的な面でもです。今は、昔よりも自由がある。だからこそ、世界が広すぎるんですね。

見える世界がどこまでもどこまでも、広がってしまっている。あまりにも見えすぎてしまうと、

「私」

「広い世界」
との比較

に、終わりが見えなくなってしまうんですよね。心がせわしなくなってしまうんです。いつまで経っても心が落ち着かない。忙しすぎるんですよね。

それだけではありません。昔の人は、世界が狭かっただけではなく、自ら積極的に

世界を狭くできる
生活習慣

を持っていたんですよね。それが宗教です。

見えない世界を、見える世界に変えてくれるのが、宗教ですよね。死後の世界など、見えない世界に対する答えを用意してくれるのが、宗教だからです。

「とにかく信じなさい。されば救われる。」といった一神教的教えは、自ら積極的に、世界を狭くして生きなさいという意味だと、私は捉えています。

余計なことを考えすぎなくていい

生活習慣が根付いていたんですよね。

宗教とは、生活習慣です。ルーティンなんです。日々一つ一つ考えながら生活を送るのではなく、できるかぎり脳のエネルギー消費を抑えながら生きる知恵だったんですよね。

宗教がなければ、
人は強く生きることが
できなかった

のだと思います。それぐらい、実際は、生きづらかったのではないでしょうか。

ですが、現代は、科学の時代です。宗教の影が薄くなってしまうのは、仕方がないですよね。見えなかったものが、

見えすぎてしまう
ようになった時代

なんです。

世界が広すぎると生きづらくなる理由

世界が広すぎると生きづらくなる理由

私がお伝えしたいことは、宗教を信じた方が良いという意味ではありません。ポイントは、

自ら積極的に
世界を狭くしていく

という点です。世界を狭くしていくことは、決して悪いことではない。むしろ、積極的に取り入れていくべきだということです。

世界がどこまでも広くなりすぎてしまう現代だからこそ、より一層、狭くしていくことへの積極性が求められると思うんです。「見えないモノ」は

「見えない」と
受け入れる勇気

とも言えるでしょう。世界が広すぎると、「見えるかもしれない」という可能性を追い過ぎてしまうんですよね。

ただ、「世界を狭くする」だけを聞くと、どうしても引きこもってしまうイメージを持たれる方も多いかもしれません。

ですが、引きこもることは、世界が広くしていることなんです。世界が見えすぎてしまうから、目をふさいでいるだけなんですよね。世界をあえて見ない勇気が大切なんですよね。

もうすこし正確に表現すると、

自分が責任を負える
範囲を明確にする

ことです。境界線をハッキリと意識しながら生きていくことを、生活習慣にしていくことです。世界が広すぎてしまうと、どうしても自分が責任を負う範囲が広大すぎて、のっぺりと広がって濃度が薄くなってしまうんですよね。

ですので、自己責任の濃度を高めていく。そんな意識を持つことだと表現することもできます。

たとえば、自分が発する言葉にどれだけ責任を持つかということです。責任とは、頑固とは違います。プライドとも違います。自分自身でじっくりと考えて、必要があれば

自分で変化させていく
勇気を持つこと

なんですよね。コントロール欲求をなくすのではなく、コントロールする範囲を限定していく。そんなイメージです。

「世界が広すぎる」人は、自分が責任を持とうと決意している範囲・境界線が、不明確であいまいなんですよね。境界線が不明確だと、

周りからコントロールされやすい

ですし、

自分も周りをコントロールしたくなる

ものなんです。どこからどこまでが、自分の責任でコントロールするべきかの確信が持てていないからです。この振り回される感覚が、生きづらさを生み出す根本的な原因になるんですよね。

生きづらい原因がわからないのは「受け取れない」から

生きづらい原因がわからないのは「受け取れない」から

最後の5つ目は、「受け取れない」です。

世界が広すぎてしまうと、自分の足元が見えなくなるんですよね。常に遠くばかりが気になってしまい、

遠くを見るクセ

がついてしまうからです。

そうすると、どれだけ強いエネルギーで頑張って、たとえその成果をたくさん得られたとしても

受け取れなくなってしまう

んです。スルーしてしまうんですよね。

たとえば、半年分の給与を注ぎ込んで欲しい物を買ったのに、手に入れた瞬間に、見向きもしなくなってしまうようなイメージです。すぐに次の欲しい物に、目がいってしまうからです。

手に入れたようでいて、

手に入れた実感が持てない

んです。もったいないんですよね。これは、現代に生きる人たちの病理のようなものとも言えます。

社会システムの上で、当たり前のように生活ができてしまうので、自分

1人のチカラで生きていける

と勘違いしてしまう心理なんですよね。

たとえば、鶏ムネ肉が、100g60円で簡単に手に入る。鶏を育てて、屠殺処分して、切り分けて、消毒して、梱包して、冷蔵配送して…といったような社会システムの中で生きている実感を得ることが、なかなか難しい世の中です。

道路の舗装はされていて、当たり前の世の中です。蛇口を開けば、お水がすぐに出てくるのは、当たり前の世の中です。

私たちは、

ただ生きているだけで、
数億人の人たちに
支えられて生きている。

たった1人孤独に生きているのではなく、何もしていなくても、勝手に、たくさんの人たちが、私のことを助けてくれている。当たり前すぎて、受け取れなくなってしまう時代です。

世界を狭くするとは、
近くを見ること

です。目の前にあるモノひとつひとつに、人々の想いがつまっていて、私を支えるために頑張ってくれたモノたちだということを想像してみることだと、私は思うんですね。

想像してみたとしても、実感することは難しいかもしれません。ただ、受け取る心構え・体制作りはできるのではないでしょうか。

生きづらい原因がわからないのは「子供心を嫌悪している」から

生きづらい原因がわからないのは「子供心を嫌悪している」から

最後にこれまでのことを、簡単にまとめてみると、大人ぶることも大事だけれど、

「子供心を
嫌悪しすぎないでね」

です。毎朝5分だけでもいいので、私の中の子供心に意識を向けて、水やりして大切に育ててあげましょう

「子供心」と「大人ぶる」とは、下記のようなイメージです。

  • 【子供心】
    自分優先 自分で決める 自責 感情的 欲求的 個人的 型破り 自由
  • 【大人ぶる】
    他人優先 他人に決めてもらう 他責 理性的 抑制的 組織的 型通り 追従

私の中の子供心を無視してしまうと、いつまで経っても

反抗期が終わらない

んです。反抗期という名の子供を、しっかりとやり切ること。大人のフリをした子供なんだということを認めること。そんな心構えが大切なのかもしれませんよ。

心理カウンセラー・岩田昌樹
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